はじめに
皆様お疲れ様です。
現役看護師のにっと~です。
看護の現場では、日々さまざまな判断が求められます。
命を救う場面もあれば、穏やかな最期を支える場面もある。
そんな中でふと、
「僕は何のために看護をしているのだろう」
「どんな支え方が正解なのだろう」
「目の前のケアは、何のためにあるのか」
と立ち止まる瞬間は、誰にでもあると思います。
看護の仕事は「知識や技術」だけでは完結しません。
そこにあるのは、「人と人」としての関わりです。
今回は、看護師としての倫理・判断・ケアの哲学について、
少し立ち止まって考えてみたいと思います。

看護の本質は「生きるを支える」こと
看護とは、「治す」だけでなく「生きるを支える」仕事だと思います。
患者さんの命の長さよりも、「その人らしさ」を守ること。
それが一番大事なんじゃないかなと考えています。
たとえば、
- リハビリを続けたいと願う高齢者の想いを尊重すること
- 終末期の方が「自宅で過ごしたい」と願う時間を整えること
- 認知症の方が混乱しないよう、安心できる声をかけること
それぞれの行為に「医学的な意味」だけでなく、人の尊厳を支える意味があります。
看護の根底には、「この人がどう生きたいか」を共に考える姿勢があると思います。
対応に悩む事例 ご利用者と家族の意向が異なる
訪問看護で勤務していて、悩むことが多々あります。
「ご本人様」と「ご家族様」の意向が違う時です。
例えば、
- ご本人様は「最期まで家で過ごしたい」
- 家族様は「できるだけ長生きしてほしいから、入院させたい」
ということが多々あります。
どちらの言い分もわかります。
ただ、この場合に迷うのが「今後の方向性」です。
本人様の意向なら、
「家で過ごせるように関係機関と連携し、看取りまでの道筋を整える」ことが必要です。
ただ、ご家族様のご希望なら、
「状態が悪化すれば、すぐに病院と連携し、救急搬送対応」となります。
方向性によって対応方法も大きく異なります。
僕個人としては、ご利用者様、ご家族様ともに後悔がなく過ごしてほしい。
そのため現状を含めて、
ご本人様、ご家族様、関係機関と密にカンファレンスを行うようにしています。
皆様のご意向、見解、意見を出し合う。
思いを共有する。
そこからこれから行うケアを見つめなおす。
これが生きるを支えるということなんじゃないかなと思います。
倫理とは、「正解」を出すことではなく、「最善」を探すこと
医療の現場では、常に倫理的な葛藤が存在します。
延命治療を続けるか、苦痛を取ることを優先するか。
家族様とご本人様の希望が食い違うことも少なくありません。
そんなとき大切なのは、「正しいか・間違いか」ではなく、
「この人にとって、今、最善の選択は何か」
を探すことです。
倫理とはルールではなく、「考える姿勢」そのもの。
答えのない状況で迷いながらも、誠実に向き合うことが看護の専門性だと思います。
ケアの哲学 ―「支える」とは、「寄り添う」ことではない
「寄り添う看護」という言葉はよく聞きますが、
本当の寄り添いとは、同情でも、感情移入でもないと思います。
患者さんの痛みや悲しみを自分のもののように抱え込むと、
僕たちはすぐに疲弊してしまいます。
哲学者E.レヴィナスの言葉に、こんなものがあります。
「他者の顔を見つめることは、無限の責任を知ることだ。」
つまり、「相手を理解しようとする姿勢」こそが、支えるという行為の出発点。
看護師の「支える」は、一緒に沈むことではなく、一緒に見上げることなのだと思います。
判断に迷ったときに立ち返る3つの視点
①「この人にとっての幸福とは何か?」
病状や医学的数値だけでなく、その人の人生観・価値観を尊重する。
「治す」ではなく、「その人らしく生きる」をゴールに設定します。
②「誰のための判断か?」
ときに家族の希望が優先されたり、医療側の都合が先に立つこともあります。
でも、常に本人の意思を中心に据えること。
たとえ言葉にできなくても、表情や反応から想いを感じ取ることが大切です。
③「私がその人の立場なら、どうされたいか?」
ケアの判断に迷ったとき、この問いが原点に戻してくれます。
看護倫理の教科書に書かれている「自律・善行・正義」などの原則も、
結局はこの「想像力」に行き着きます。
現場で実感した「支える看護」のかたち
僕は以前、末期がんのご利用者様への介入が開始になった時、
その人に病状が伝えられていないという状況に立ち会いました。
ご家族様の意向で「本人には言わないでほしい」というお願い。
その方は、残りの時間を知らずに「退院したら野球をみに行きたい」と話していました。
「本当にこれでよかったのだろうか」と、今でも考えることがあります。
その経験を通して感じたのは、
「支える」とは、本人の想いと家族の願い、その両方を抱えながら、最善を模索すること。
答えは出なくても、向き合う姿勢こそが看護の倫理だということでした。
看護師として「自分を見失わない」ために
現場で忙しいと、僕たちは「目の前の業務」に追われてしまいます。
でも、ときどき立ち止まって、
「自分はなぜ、この仕事を選んだのか?」
を思い出す時間が必要です。
ケアの哲学とは、難しい理論ではなく、
「自分がどう生きたいか」を考えることとつながっています。
「誰かの力になりたい」という原点に戻れたとき、
人としての優しさと、専門職としての冷静さが自然と両立していきます。
まとめ
いかがだったでしょうか。
今回は「看護師として「なぜ支えるのか」を考える ― 倫理・判断・ケアの哲学 ―」というテーマでお話させていただきました。
看護の現場には、「答えのない選択」があふれています。
でもその迷いこそが、看護師として、人としての成長を促してくれるものです。
倫理とは「迷わないこと」ではなく、
迷いながらも誠実に向き合い続けること。
誰かの命のそばで、「その人らしさ」を支えるという尊い仕事。
それが看護の哲学であり、僕たちが「なぜ看護をするのか」という問いの答えなのだと思います。
看護倫理やケアの本質をもっと学びたい方へ
▶ユーキャン
ユーキャンの心理カウンセリング講座本日もありがとうございました。
お疲れ様でした~


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